ましゅまろの趣味日記

ツイッターで収まりきらず、ブログに至りました。

感想: 小説「わたしの幸せな結婚」

こちら、感想を述べるにあたる作品の事象をぼかしながらお伝えするので、ネタバレあります。正直読まないと全然わからないお話してるかもしれません。私の備忘録ですので。

まず、実は1年ほど前に試し読みで出会っていたはずの作品なんです。小説の文体や雰囲気、コミカライズ版の綺麗で繊細な絵柄に惹かれ、1年間ネット通販のブックマークがされていました。当時、ライブの遠征が控えていたこともあって買えなかったんだろうな、私。
今回、1年間も放置し続けていたブックマーク整理をしたところ、やっぱり読みたい作品は買おう!と決心し、無事に買いました。しかも、すぐ読みたい欲が勝ち、小説とコミカライズを求め、書店を駆け巡りました。ざっと、10店舗ほど…。私の行動圏内には書店がたくさんあって、本の虫としては喜ばしいんですけど…映像化が控えている作品とだけあって、品薄も品薄。すごいですね、実写化の影響。久々に実写の影響力がすごいんだなと感じました。今まで実写化しても、元々入手していた作品であったり、時節過ぎてから私が触れていたりとなかなかリアルタイムで感じることがなくて驚いてました。

前座はここら辺にしておきます。長いですね。ツイート4個分です。国語がどうしても苦手な人が書いておりますゆえ、拙い文章ですが心の荒れ様を残します。

初読の感想

ストーリーや登場人物の詳細は映画やアニメのイントロダクションを読んでいただけたらと思います。

とにかく1〜2巻までは、主人公・美世の抱える過去が洗いざらいしていく形で物語が進んでいました。
主人公の実母である前妻・後妻という両親の夫婦関係や異母姉妹という複雑な家庭環境の中で虐げられていた彼女としては、
やはり「意思」の確立がテーマだったように思えます。

先に生まれた者が家を継ぐ時代、後妻と異母妹が家内で上に立つにはどうしても長女の存在が邪魔になるという構図。そこに加えて、先天性の才能を重んじる家であったために、それを持たぬ主人公は後妻・異母妹にとっては格好の餌食でした。家長の妻ともなれば他からの非難もし難く、表立って美世を救う者はいなかったようです。そういった事から、美世はとても自尊心も誇りも意思も薄弱な表現が多々見られてました。心が痛い。回想は心が痛いです。

突如として家を出された美世の嫁ぎ先が幾度も婚約破棄の事実が積み重なる男とだけあり、何処まで実家が美世を邪魔に思っていたことか…。
私の家は自由人だらけなので、ここまでの事は想像つきませんね。
虐げが無くなることを思えば美世にとってはいいと思うのですが、同時に婚約破棄がされることとなれば居場所を本格的に失うという四面楚歌の状況。命懸けですよ。無理。生きれる自信ないよ…。こんな四面楚歌になれば当然、自分の意思を潜めてまで苦から逃げようとしますよね。

実際、そんな生活は無かったようで、美世のことを大切に思う人々のおかげで徐々に、美世の意思が朧げながらも現れはじめていました。
心理学を学ぶ私からすると心理学がここに隠れてるのか、なんて要らぬことを考えていました。
虐げの現実が無くなったことで、無意識的に潜めていた意思を自覚していく様は本当に第三者視点で安心してたんです。ですけど、ここで学習された虐げに対する生き延びる方法はやはり体に染み付いている事を知らされましたね。
一度、意思を潜めるという学習された反応は、しないようになっても、同じ状況が起きれば容易に同じ反応(意思を潜める事)をするようになるという。心理学です。
もう、創作の場所にまで学んだことが染みつくので、教養って大事ですね。

ここまで主人公・美世側に寄って見ていたんですけど、婚約者・清霞もまたいろいろ心境の変化あって面白かったですね。
幾度も婚約候補者に興味を持っていなかったのですが、あまりにも無い意思や過去を語らない・悟らせない美世に純粋な興味を持ったようです。
全然ラブストーリーの予感なさすぎて、少女漫画の甘い雰囲気が連続で続くと本を投げそうになる私がスルスルと読めてました。
そうですよね、清霞としても美世は「何故ここまで語らないし、家柄や家格のある自分に対し玉の輿のような状況で何もしないのか」疑問をもたせますよね。

美世のスタンスも自分の出来ることは自分でやるのではなく、許容される行動範囲の中にある全ての「生きるに必要な事」をやり抜いていましたから。その行動に至るまでの思考過程に使用人の有無や財の多さは関係なかったのかと。

あまりにも怯えた様子の美世に清霞が寄っていくというより、安心できる場をただただ示していくのが最高でした。ありがとうございました。
清霞は自らの言動を裏目に解釈する美世に対して、ある時は行動にしておいたり、ある時は口に出したり。でも寡黙で、自分の心情は一切喋らなくて。
おそらく感情に則した行動はできるはずなのに、感情を伝達・表出することを異様にしない。でも、美世の安心できるようにと、清霞の行動によって、美世は確実に自分の安心できる場を持ったんだと思います。だからこそ、生き残るための意思の潜めが必要なくなったのかなと。

確かに、幸次さんも美世にとっては大切なお人ではあったと思うんですけど、清霞と違って安心の二文字はなく、「今の辛い状況から目を逸らさせてくれる」という付加価値に過ぎなかったのかなと。こちらは完全に斎森家という囲いで、運に似たなにかだったのかな。
幸次さんと美世も、夫婦になる未来もあったとは思うんですけど、そういった場合は安心できる場所の提供は難しかったんじゃないかな。
矢面に立てるタイプのお方ではなく、鎮める・今あるものを必死に繋ぎ止める方が得意に見えたので。

そうした過程を経て、徐々に美世の中に意思が宿り、なんや勘やで反論を覚えた。反論の後の酷い仕打ちがあったとて、自分の意思を言い張っていました。成長した!すごい!我が子!(違います)意思を表出できるようになって、さらには恋が芽生えたんですね!隣がいいんですね!!などと私は騒ぎました。

って思ってたんですよ。6巻を読み終わるまで。徐々に書きますとも。そのうちと言いたいんですけど、初読の感想って残しておかないと自分の考えさえも忘れるのでメモはあります。そのうち、メモを読みやすく、かつ自分の考えていたことを忘れないようにと頑張ります。